平野 ゆりこ
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プロフィール
生誕〜
高校時代
1963年生まれ
松田町立松田小学校・松田中学校
1981年 神奈川県立小田原城内高校卒業(第33回生)
幼少期は父親の仕事の関係で転勤が多く、松田→宝塚→松田→京都→松田→三重県津市→松田と移り住んだ。小学校に上がったのは京都市伏見で、極度に引っ込み思案な性格で担任の先生と口をきくのもやっとだった。小1で松田に転校すると、のどかな風土とおおらかな先生や友達のおかげか徐々に強くなって、今では気弱だった頃のエピソードを話しても誰も信じてくれない。
松田町では小中学校の連絡が良く、まるで小中一貫校のように行き届いた教育体制が実現していた時期で、先生にも友人にも恵まれていた。
小田原城内高校に進学。学業では英語や地理・歴史などに励む一方、漫画研究同好会に所属し、その後の興味(外国語と歴史と美術)の基礎を培うこととなった。楽しいだけでなく悩みも話せる友人たちとの出会いもあり、それは今も続いている。後年、城内高校は小田原高校に吸収合併されることになったが、決して忘れることはないだろう。
日本美術史学会会員
神奈川県太極拳連盟理事
太極拳・長拳(カンフー)指導員
および審判員
Favorite
音楽・美術鑑賞が好き。
美術に関しては左欄参照。
音楽はジャンルはあまり気にせず、ジャズ・クラシック・ポップス・ロック、いいなと思えば何でも聴く。
the collectors・Mr.Children・peridots・the pillows・TOMOVSKY・the ピーズ・怒髪天・畠山美由紀・カテリーナ古楽合奏団などのライブに時々足を運ぶ。
大学〜
会社員〜
大学院
1985年 お茶の水女子大学文教育学部仏文学科卒業
小規模で手厚い指導体制の中で勉強させて頂いた一方で、写真部に所属したり、他大学と合同の討論会サークルや読書会サークルの活動をするなど、多忙な学生生活だった。教職課程を取ったり、ダブルスクールで日仏学院にも通う一方、学芸員課程も取って美術への興味が強くなり、卒業後は美術展企画会社に勤務。その後、母校大学院修士課程に戻り西洋美術史の研究を始める。
1997年 お茶の水女子大学大学院博士課程単位満了
大学院では見聞きし学ぶ美術が何でもおもしろく、研究対象を絞るまで時間がかかった。子育てしながらということもあり焦った時期もあったが、最終的にはバロック時代の伊仏がメインとなった。在籍中から少しずつ講師の仕事を始め、これまでに東京成徳短大付属高校・小田原城内高校・成蹊学園高校・松蔭大学・松蔭高校・東京家政学院大学・関東学院大学ほか、カルチャーセンターなどで西洋美術史・西洋服飾史・フランス語・英語を教える。
健康と
環境への
関心
1992年から太極拳を始める。子どもの頃は、体を動かすのは嫌いではなかったが、スポーツ万能の兄弟に劣等感を感じ自分はインドア派と決め込んでいた。20代最後に、何かスポーツをやらなければ肉体は下り坂の一方だと気づいて思い立ち、自分に合うスポーツは何かと探していたところ、太極拳に出会う。
2000年には、松田町の生涯学習課が企画した親と子の中国武術入門講座に協力し、それがきっかけで県西地区初のカンフークラブの立ち上げに参画。以後アシスタント的な役割を続けてきたことが評価され、2014年末には町教育委員会から表彰される。
子育て期には松田小中学校PTAや子供会の役員もつとめ、また親子で舞台芸術を楽しむ団体にも参加した。
子どもがアレルギーを持っていたことをきっかけに、食の安全、環境問題に興味を持つようになり、3.11の東日本大震災以降はエネルギー問題にも関心を広げる。仲間を募り、それらをテーマとした映画の自主上映や講演会を主催している。
日常生活におけるモットーは「ナチュラルな心と体と地球が好き!」